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ミャンマー語の起源・歴史とは
ミャンマー(ミャンマー連邦共和国)の公用語であるミャンマー語はビルマ語とも呼ばれ, 言語学上はシナ・チベット語族のチベットビルマ語派に属します.
地図:
ビルマ文字の歴史
ビルマ文字は11世紀後半頃に同じくミャンマーの土地に定住していたモン族(Mon) が使っていたモン文字を改変して作られたとされ, 12世紀頃の碑文には多くのビルマ文字が記録されるようになりました.
11世紀 ー16世紀までの時代に使われていたビルマ語を古ビルマ語と呼んでいます.
その後, 16ー18世紀の中ビルマ語を経て, 18世紀中頃に現代ビルマ語の形に至ったとされています. [参照: Wikipediaビルマ語
]
<初期のビルマ文字>
古ビルマ語: (現代のものより文字の形がやや角張ってます. 現在のビルマ文字とは少しずつ異なった形状をしています.)
丸文字の由来は?
初期の頃のビルマ文字は形状が角ばった いわゆる角文字でした. そこから時代を経て現在の丸文字に変化しました. これは当時, 紙がまだ無かった時代, 紙の代わりに 椰子(ヤシ)の葉っぱを使っていた頃の名残りだとも言われています. (葉っぱを引っかいて文字を書いていたので, 簡単に破れないように文字に丸みを付ける必要があったためとも言われています.)
画像: 椰子(ヤシ)の葉に刻まれたビルマ文字
文字の起源は仏教伝来!?
現在のミャンマー語はモン語から改変されたものとされていますが, そのモン語は南インド地方のパーリ語の影響を受けたとされています.
パーリ語は, 南伝上座部仏教の経典に主に使用されている言語で, 南インド経由で仏教がモン族に伝来され, その文字を基にモン字が作られ, そして後にビルマ語が作られるようになりました.
以前, 南インドへ出張に行った際に現地の看板に書いてある文字がミャンマーの文字と形がとても類似していたのを思い出します.
インド・パーリ語
【ミャゼディ碑文より】語り継がれた様々な言語
現存するビルマ語最古の碑文『ミャゼディ碑文 (1112年)』には同じ内容が4つの言語( パーリ語, モン語, ピュー語, 古ビルマ語) で四面体のそれぞれの石柱に刻まれています. 複数の言語が記されていた背景には, ちょうど古ビルマ語が誕生した過渡期だったものと推測されます. またそれぞれの言語を比較する事でそれまで未解読であったピュー文字の解読に成功するなどその功績から『ミャンマーのロゼッタストーン』とも呼ばれています.
【ユネスコ記憶遺産(2015年)に登録】
ミャゼディ碑文: パガン郊外のパゴダ境内で発見される
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モン文字 (モン=クメール語)
モン族の祖先
モン族はビルマ族よりも前に(紀元前1500年頃)現在のミャンマーに定住していましたが, どちらもヒマラヤ山脈の麓(ふもと)からエーヤワディー川(イラワジ川)に沿って南下して現在のミャンマーの地へ移動してきた経緯があります.
ミャンマーには現在, 約800万人のモン族の人々が住んでいるといわれています. 私が当時駐在していた事務所にもモン族の女性スタッフが働いていました.
モン族の文字
モン族の文字(モン文字)は南インドから伝わったとされ, これはモン族の人々が仏教に熱心な信仰を行なっていたことと関係があります.
後にやって来たとされるビルマ族は, 文化的に優位とされていたモン族の文字(モン文字)を借用してビルマ文字が誕生します.
ピュー文字(Pyu script)
(ミャゼディ碑文より解読されたピュー文字)
先住民族 ピュー族(ピュー王朝)の文字
ビルマ族がミャンマーの土地に入る前にエーヤワディー川流域に居住していたとされ, 紀元前2世紀から9世紀前半まで繁栄していたとされています.
ちなみに世界三大仏教遺跡の一つと称されるパガンは「ピュー族の集落=ピューガーマ」が転じた言葉だとする説もあります. それ程, パガンとピュー族とは深い関係があると考えられています.
ピュー王朝時代に建立されたとされる 仏塔(ボーボージー) は, 建築様式がスリランカ(セイロン島)のものと類似しており, 当時, セイロン島との交流があったものと考えられています.
ピュー文字は南インドのカダンバ文字が原型とされています. そして, ピュー文字がモン文字の原型になったと考えられています.
1911年にイギリスの学者 オットー・ブラグデンによってミャゼディ碑文の他の3言語を比較することで解読され, ピュー語はチベット・ビルマ語派である事が判明しました. 「Wikipedia より」
なぜビルマ文字が必要だったのか
王朝の興隆がきっかけ?
ビルマ族が初めて王朝(パガン王朝 年〜)を興した当時, 文化的に優位だったモン族の文字(モン文字)を依然使用しており, ビルマ族独自の文字を持っていませんでした.
チャンシッタ王 (在位1084-1112年)
パガン王朝の3代目の王として, その功績を称え息子が碑文(ミャーゼディー碑文)に記しました.
チャンシッタ王に関しては, その生まれがインド系やモン族の系統なのか, 色々な説が出ていますが, 史学の観点からこの時代にビルマ文字が初めて記録として残されているという事は, ビルマ族の拠り所となる固有言語を作ることに尽力していた事を伺い知ることができます.